前埼玉県議会議員 ふじさわ慎也 / 藤澤慎也 オフィシャルサイト - 生い立ちと思い出
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あさの克彦の経歴
 
 

1977年8月17日 東京生まれ。

サラリーマンの父、専業主婦の母のもとに長男として生まれる。

泣き声と目が大きく、眉毛くっきり。「男らしいね」とは言われたそうですが、 あまり可愛いとは言われなかったそうです。

あまり体が丈夫では無く、足を冷やすとすぐお腹をこわし、いわいる自家中毒の 症状もあって、よく病院に行っていた記憶があります。

1984年4月 越谷市立千間台小学校 入学

●口生意気で泣き虫。おしゃべりで先生に注意されることもありました。

●幼稚園のころから水泳を習っていましたが(小学校卒業まで)、3年生ぐらいから 走ることが得意になって、より運動が好きに。

野球が好きで越谷リトルリーグに入団。仲間に恵まれ、全国大会出場を果たしました。(9番・ファースト)

●5年生の時、ちょうど授業で将来の仕事を考える機会が、リクルート事件の一連の報道を見ていたタイミングと重なり、社会の授業が好きだったこともあり、 政治への思いを持ちました。

「自分であれば悪いことをしないでやってみせる。」

1990年 4月 越谷市立千間台中学校 入学

●学級委員をやるような、いわいる「まじめな良い子」であったと思います (自分で言うことではない、と言われそうですが)。

●部活動は陸上部(短距離や走り幅跳び)。走るのは磨きがかかって、校内では短距離でトップクラスの快速でした(あくまで校内です)。

●野球も続け、越谷リトルリーグからシニアリーグへ。部活の個人競技とは違ったスポーツの楽しさや、厳しさを学び、貴重な体験となりました。
(私は残念ながら3年間補欠でした)

●三年生の公民の授業で「将来何をしたいか(職業)」という質問があり、クラスで 3人が他には無い答えを。一人はプロ野球選手、一人は学者、そして私は総理大臣。

先生は「首相は今、人気がない(希望者が少ない)からいいかも」と言われました。

 

1993年 4月 埼玉県立越谷北高校 入学

●部活動を中学校から引き続き陸上部に。おかげさまで、校内、部内では走りはトップクラスで、一年生からリレーメンバーに選ばれるなど、部活動に明けくれました。先輩・仲間・後輩に恵まれ、中学生時代には行けなかった県大会にも出場しました。

高校で覚えた筋トレが楽しくて、ベンチプレスは95キロまで上げることができました。(今はまったく上げられません)

●一年生の時に、将来の進路を考える時間があり、「25歳で衆院選に立候補・当選」と書いたところ、担任から「本気でそんなこと考えているの?」と言われ、目を丸くされました。

1996年 4月 中央大学政治学科 入学

●「大学は勉強するところ」と一年生から三年生までみっちり講義を受けました。
おかげさまで三年生までフル単位獲得。仲間にノートを良く貸していました。
しかし、その仲間より成績が悪い時もあり、要領は良くなかったです。

●これまでの運動中心の生活とはまったくかけ離れた生活に。アルバイトは事務系でサークルはテニスサークルに入ったものの、いわいる体育会系では無かったので、軽く趣味、といった感じでした。しかし、飲み会はしっかりありましたので、おかげで、体が丸くなりました。

●サークルの後輩から、変わったあだ名をいただきました。「組長」と「お父さん」。

●三年生から所属した中島康予ゼミではゼミ長を務めました。皆、飲み会が大好きで、先生は「こんなの初めて」とのお言葉をいただきました。勉強の記憶よりも飲み会の記憶の方が断然多いです。今でも良い飲み仲間です。

●三年生、いよいよ就職を考える時に改めて「政治家(議員)」を意識しました。
しかし、どうしたらよいのかよくわかりませんでした。ちょうどそのころに「議員インターンシップ」を主催する学生団体のチラシを見かけ、とにかく参加。 ご紹介いただいた志木市選出の鈴木正人市議(現県議)の活動をお手伝いしながら、初めて政治の世界へ。今でも鈴木県議は良き先輩として私とお付き合いをしていただいています。

●四年生になると、鈴木市議のお手伝いだけでなく、他の選挙のお手伝いや自民党学生部へ入部など、様々な経験をしました。

衆議院議員上田清司 秘書時代

●就職活動もしましたが、やはり政治の世界へ進みたいという思いがあり、大学卒業後、鈴木市議の選挙をお手伝いし、その後上田清司事務所をご紹介していただきました。直後に総選挙があり、初めて国政選挙に携わりました。

●総選挙後、秘書として地元後援会活動に携わりました。和光市担当となりましたが、何事も初めての経験でしたので、緊張の連続でした。若い、見ず知らずの私を後援者の皆様が暖かく、真剣に受け入れていただき、本当に助かりました。
選挙の他、日頃の活動を通じて政治活動、政治に対する考え方、有権者の思い、多くの事を学びました。また、地方政治への関心が高まったのもこの頃でした。
私にとって、和光市は政治の世界の「故郷」です。

●秘書活動を通じて多くの議員、秘書の友人、知人ができました。現在も多くの方々とお付き合いが続いています。

●この時代に結婚。私の個人的なことではありましたが、多くの後援者の方が祝福して下さいました。改めて人のつながり、あたたかみの有難さを感じました。

埼玉県知事上田清司 秘書時代

●突然の流れでしたので、驚きもありましたが、上田清司代議士が知事選に挑戦。見事当選を果たしました。
今までにない大型選挙で、私は戸惑うばかりでしたが、
当選後も含め、貴重な体験ができました。

 
 

衆議院議員神風英男 秘書時代

●上田清司代議士のあとを受けて埼玉4区で出馬し、当選を果たした神風英男代議士を選挙からその後の後援会活動までフォロー。

神風代議士には今でも大変お気づかいをいただいております。

株式会社リクルートHRマーケティング 営業時代

●政治の世界を外から見てみたいという思いが生まれ、転職。
秘書として多くの方々と接する経験はありましたが、「営業」として物を売るのは初めての経験でした。営業の厳しさ、景気の厳しさを学ぶとともに、人と人との信頼関係や会社の信用など、お金だけでは測れない価値の大切さも学びました。

●私のように政治にかかわっていた人間がそばにいることは珍しい、変わっている、という話がよくありました。政治の世界が遠い存在であると改めて実感しました。
ちなみにあだ名は「専務」でした。(落ち着きは役員クラス、とのことで。)

●今でも当時の先輩や仲間と飲み会や野球チームを作るなど、交流が続いています。


参議院議員島田智哉子 秘書時代

●お声掛けをいただいたのをきっかけに再び政治の世界に。いずれは戻るつもりとはいえ思ったより早いと感じるところもありましたが、上田知事などからも
アドバイスをいただき、これも出会い、ご縁であると戻りました。

●参議院議員の秘書の経験は初めてでしたが、埼玉県中をめぐるという貴重な経験となりました。埼玉県に住んでいながら、今まで知らなかった多くの発見や体験ができ、埼玉県の良さ、可能性を感じることができました。

●活動エリアが広がることで、さらに出会いが増えました。これまでご縁があった方議員、秘書の方々はもちろん、様々な会合や選挙等、今までにない多くの機会で、いろいろな地域、立場の方々に出会うことができ、大きな経験となりました。

●この時代に長男が誕生。父親となり、とても不思議な感じでした。親となってわかったこと、学んだことが沢山あります。改めて、親のありがたさ、大変さを感じました。また、子どもの成長とともに、自分の成長も感じる今日、この頃です。

   
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